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拝啓、奇跡をくれた英雄へ

山西音桜

 その日、アンジョーはいつも通り自宅のベッドに腰掛けてスマートフォンの画面をただ眺めて過ごしていた。

 ネットサーフィンをして、何かするべきことがあったような気がする、とホーム画面に戻したは良いものの、数秒後に何をしようとしたかを忘れ、ネットサーフィンに戻るという行為を、午前から何度か繰り返している。腹部から空腹を訴える虫が鳴き始めて、そういえば料理上手な相方はどこにいるんだろうと、思ったところで玄関の扉が開く音がした。

 そのままいつもより少しゆっくりとした足音が、寝室の前で五秒程止まって、寝室の部屋が開く。

「あ、コーサカおかえ」

 言い切るより先に、コーサカと呼んだ相方が膝から崩れ落ちた。

 以前、青春時代お世話になったゲームショップが更地になっていたという事実にショックを隠せなかったコーサカが取った行動でもあったので、以前のように「どうしたの」と問いかける。以前と違う点は、コーサカの右手には三本の青いバラの花束が握られていることだ。

「アンジョー」

「お、おう」

「…………」

 呼ばれて、その後言葉が数秒程コーサカの口から出てこないというのは、珍しいことである。

「コーサカ?」

「あの、今さ」

 立ち上がりながらそう言ったコーサカは、いつも通りへにゃりと笑う。とても緊迫した何かが起こったということではないようだ、とアンジョーはほっと息を吐く。

「『アンジョー、浅学なこの俺を殴ってくれ』って言おうとしたんだけど、『こいつ狼男だから、殴られたらひとたまりもねえな』と思って、黙っちゃった」

 コーサカが笑うので釣られて笑ったけれど、

「浅学って何」

 コーサカの言葉を理解をしているわけではなかった。

「え、知識がないってこと。つまりお前」

「ああ、うん。……うん?」

「く、くくっ」

 喉を鳴らしてコーサカが笑って、それに釣られてまたアンジョーが笑う。それが大体三十秒程経過して、ようやく本題に入る。

「あのさ、会社に行ったらさ、深山から『差し入れで貰いました』って、バラ渡されたんよ」

「あ、それ?」

「これ」

 これ以外ないだろ、とコーサカがまた突っ込みを入れて。

 それもそうだね、とアンジョーが笑った。

「これもらった瞬間にさ。俺、青いバラの花言葉って『不可能』だから、『誰だよ、これ送ってきたやつ!』って青いバラを床に叩きつけそうになったんだけど」

 たった今、コーサカが崩れ落ちた瞬間にその青いバラは床に叩きつけられたと同じような衝撃を受けたのでは、という突っ込みは脇に置いた。

 見て、と言葉をつけてコーサカが渡してきたのは、二つ折のメッセージカード。白に青いリボンで縁取りされたメッセージカードは、開くと女の子らしい綺麗な字でいつも動画を見ているだとか、感謝の言葉に続いて、

『お二人に奇跡を頂いたので、奇跡のお裾分けです』

そう、書かれていた。

青いバラの花言葉は、先ほどコーサカが言った『不可能』だった。それが、最近では変わったということは記憶している。それが『奇跡のお裾分け』と言われるような花言葉なのだろう。

「そのメッセージ見て、俺は……俺は、なんて学が無く、浅ましい人間なんだろうと!  思ったわけさ!!」

「なるほどね?」

 そう言うけれど、あまり理解はできていない。それがコーサカには手に取るようにわかったのだろう。小さく舌打ちをして。

「アンジョーさん、青いバラの花言葉知ってる?」

「『不可能』でしょ?」

「それが、最近変わったんすよ」

「何に」

「メッセージカードには何て書かれてんだよ」

「『奇跡のお裾分け』」

「つまりそのバラ自体がさ、『奇跡』ということですよ」

「あー!!!!」

 その解説でようやく納得して、思わず大きな声を上げてしまう。その後はいつものように数回「なるほどね」を繰り返した。コーサカが呆れたように、「お前は本当にバカだなぁ」と呟く。

「『銀ちゃんのラブレター』みたいだね」

 花言葉に擬えて「奇跡のお裾分け」と贈られた青いバラを見て、ふと頭の中で流れ出した曲の名前をアンジョーが口にすると、コーサカがマゼンダの瞳を丸くして「何それ」と、首を傾げる。

「童謡で、小さい男の子が手紙を出そうとしても、字が書けないから代わりに封筒に桜の花びらとか貝殻とか、そういう季節を感じるものを入れて、好きな女の子に送るって言うのがあって」

「はぇー。エモい曲ですね」

「そう。エモいんだよね」

 そんなことを言っている間に、アンジョーの腹の虫が盛大に鳴く。一瞬顔を見合わせて、黙った。堪えきれないようにコーサカが笑い始めて、釣られてアンジョーもまた笑った。

 二人揃ってリビングに向かって、アンジョーは椅子に座り、コーサカは空のペットボトルに水を少量入れ、バラを差す。

「パスタでいい?」

 コーサカはバラを差したペットボトルを食事用のテーブルの真ん中に置いて、アンジョーが了承の意を返せば、キッチンへと戻っていき、冷蔵庫の中身を物色し始めた。

 コーサカの後ろ姿を横目に、アンジョーはそっと青いバラに触れる。

「コーサカぁ」

「んー?」

「奇跡返していこうな」

「あ?  奇跡は起こすもんだろ」

「……本当だ」

 アンジョーの青い目が丸くなる。

 コーサカは、まるで当たり前のように言った。

 『奇跡を起こす』ということを、当たり前のように。

「カッコいいな、コーサカ」

 そう言って笑ったアンジョーが手を離すと、奇跡の代名詞はアンジョーの言葉に頷くように、小さく揺れた。

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